2011

0207

6:04 PM

諸葛孔明2

れでは孔明の戦いはどんな風だったのでしょうか。
①まず総合戦力ですが、蜀が1に対し魏は7。もともと戦力に開きがあり1対7の戦いです。
②そして蜀から魏を攻めるにはルートが二つ。一つは蜀から直接のルート。もう一つは荊州からのルートです。しかしこのころには荊州は関羽が殺され途絶えていました。
③それで最大の問題は食糧や物資の供給が困難を極めたことです。何故ならそれを運ぶには蜀のさん道といって片方は断崖絶壁で足を少しでもはずせば谷底に落ちてしまい岸壁を縫うような道を通らねばならなかったからです。
にもかかわらず孔明はなぜ戦うのでしょう。
孔明は孫子の兵法の達人のはずです。孫子は勝算無きは戦うなと言っている。勝算とは五分五分ではばくちだから駄目。少なくとも7分、八分の確率が無いと勝算とは言えない。孔明の戦いは、勝算、一分か二分の戦い、それでもやらざるを得なかったのです。
それは、先帝劉備の遺言に「自分たちの政権は正統だと世の中に知らしめてくれ」ということだったからです。孔明は苦しんだ末出した結論は勝てなくてもよい。負けない戦いだったのです。
ですから実際の戦いは極めて慎重だったのです。じれったいほどの慎重でした。
臆病な位の采配に徹しました。もう一つ不利だったことは五回の遠征のうち最後の二回は司馬忠達が相手だったことです。
また孔明は、それ程遠征したのに国の政治は極めて安定していました。
このことは尋常ではありません。それは孔明の卓越した組織をまとめる能力に由来すること大です。

赤壁 周愉の駐屯地

映画「赤壁」より

諸葛孔明

映画「赤壁」より