2011

0206

5:52 PM

諸葛孔明

て、ここから三国志の後半の主役を紹介します。
劉備につかえた軍師、諸葛孔明の事です。前半の主役が曹操にあるならば後半の主役はまぎれもない孔明です。三国志のお話は曹操に始まり孔明に終わると私は思っています。
今日でも諸葛亮は中国を代表する忠臣として有名です。日本の竹中半兵衛にも似ています。
後の劉禅にあてた「出師の表(すいしのひょう)」はあまりにも有名で、そこには「漢を復興し旧都洛陽(らくよう)を取り戻すことが先帝(劉備)の恩に報い陛下(劉禅)への忠義です」とあります。
それでは諸葛孔明とはどんな人物であったのか、お話を進めます。
孔明はどこに仕官するつもりもなく荊州(けいしゅう)で晴耕雨読の隠居生活を送っているところを劉備に「三顧の礼」で迎えられます。鬼神のごときけんぼう術数の人つまり孫子の兵法の達人です。
「三顧の礼」で迎えた時の劉備の立場は47歳で戦いには弱かったが、関羽、張飛を従え天下の英雄として有名人でした。一方孔明は周囲からは「臥龍(がりゅう)」と讃えられた逸材とはいうものの27歳の無名人です。
でもトップと参謀のコンビは最後まで上手くいきます。
劉備が死んだ時、劉禅は17歳でした。
劉備は孔明に後を託し自分達の正統性を世の中に示して欲しいと志半ばにして死にます。正統性を世に問うには、中原に覇を唱えなければなりません。
中原はすでに曹操が支配していました。孔明は前述の出師の表にもありますように劉備の意志を継ぎ八年間に五回魏に遠征をおこないます。
そして最後の戦い五丈原で孔明は倒れます。三国志の作者(正史の方)陳寿は、孔明は毎年戦いに出かけたが勝てなかったと書いています。
これは当たり前のことで孔明の戦いは最初から不利な戦いだったのです。

ショカツサイ

諸葛孔明から付けられた名前だそうです。

ショカツサイ

孔明のように洗練されたきれいな花です。